生い立ち~就農まで

昭和34年(1959年)農家の三男として生まれる。生家は稲作・柑橘農家。

大学卒業後、地元の糸島農協に就職。管理部門(総務)、金融部門(融資)組織部門(農政・広報)に携わる。31歳で退職。23歳で結婚。婿養子となる。その後時計メーカー(セイコー)に就職。営業職、販売企画の業務に携わる。

41歳の時、会社のドラスティックな機構改革(分社、統合、支店縮小)に伴う早期希望退職に応募退職する。その後老舗時計店に就職。管理部門(財務、人事・労務、庶務全般)の業務に携わる。47歳の時に義父母の老齢化に伴い家業の農業を継ぐため退職する。

就農~現在まで

47歳で就農。義父母の経営スタイル柑橘栽培稲作に加え露地菊栽培でスタート。

就農翌年にはのちに全国でも有数の産直「伊都菜彩」がオープンし新規就農した自分とって、農業所得の増収と生産物の廃棄ロス解消等の生産意欲・労働意欲(モチベーション)の高まる機会であった。

しかし菊栽培の農薬使用によるアレルギー反応、皮膚病が酷く露地菊栽培は2年で断念した。

柑橘栽培

温州ミカンを柱に不知火(ハウス栽培)・西南のひかり・ポンカンレモン・ゆず・伊予柑等である。温州ミカンの品種は日向姫・日南・上野・由良・北原・原口・福岡4号・山下紅・青島であり、市場流通のかたちを取らずに、期間を限定しての消費者とのオーナー契約を交わしての販売を行っている。

その他中晩柑橘類については、最寄りの産直伊都菜彩を柱にJA 産直のポルタ、アグリ、イオンモールの産直テナントわくわく広場へ出荷している。またオーナー園顧客や知人・友人・親類からの注文販売を行なっている。

『椚みかんオーナー園』について

1990年代初頭にみかん団地の栽培農家10軒で椚みかんオーナー園組合を設立。

消費者との交流、体験型農業、観光農園をかたどるミカン園を柑橘栽培・経営の柱とする。現在我が家の顧客数は 300名余りで園全体では1,300名を超える。オーナー園の稼働期間は、温州ミカンの極早生、早生の収穫期 10月~11月でその期間中契約したオーナー様が自分の樹を自由に収穫できるシステムである。

樹の価格は果実の収量に見合った金額を設定していて、1本4,000~20,000 円である。

環境保全型農業の取り組み

“身体にやさしく みかんにやさしく そして地球にやさしく”

皮膚病(農薬アレルギー、オレンジアレルギー)の発症のため、身体をいたわりながら上手く病気と対処しながら柑橘栽培を続けていく方法として、農薬の使用について見直した。

① 農薬の種類➡アレルギー反応の低いもの、有機農薬への転換。

② 防除回数を減らす➡最も適した時期の防除

減農薬栽培でも品質のレベルダウンしないように樹木の観察を心掛けている。また福岡県農業改良普及センター(以下普及所) 、JA からの情報収集や指導を受けている。

肥料について 丈夫で健康なみかん樹木の育成を図るためフカフカの土壌を目指して地元酪農家から提供頂いて牛糞堆肥を施している。その効果は的メンでありやさしい土壌になっている。

以上の取り組みから普及所のアドバイスを受けて平成21年度からふくおかエコ農産物の県認証を取得している。また平成 27 年度からは環境保全型農業への取り組む目的で“いとしまエコフルーツ G”を設立して補助金申請を行なっている。

こだわり・ゆめ・独自性・方向性

47歳で脱サラして休日にお手伝い程度の農業経験、専門知識もなかった私は特段ああしたい・こうしたいといったこだわりとか方向性もなく 温州ミカン栽培のオーナー園と僅かばかりの稲作栽培(40a)を就農~4,5年間父母の継承と近隣の先輩方のアドバイスを受けて現状維持のスタイルであった。

少しずつ仕事に慣れて、稲作栽培は借地による規模拡大(最大 155a)と柑橘栽培については産直向けに新たに中晩柑品種の導入し、規模の拡大・所得の向上と年間を通して収穫できる農作物生産スケジュールを目指した。持病である皮膚病と農薬・柑橘系アレルギーは残念ながら治ることはなく重症化しないようだましながら農作業に取り組んでいるが、オーナー園や産直で購入頂くお客様にも安心して食して頂けるように

① アレルギー反応の低い農薬の使用。

② 科学農薬から有機農薬への転換。

③ 農薬散布回数の減少化。

④ 収穫期直近の農薬散布を行わない。

を柱に据えて柑橘栽培している。

60歳を前に長男の将也が勤めを辞めて農業後継者として同居しながら一緒に営農することとなったことはとても嬉しい事であった。労力の軽減・将来の不安解消(後継者問題)そして我が子と一緒に作業し収穫できる喜び。農業はもちろんのこと日常生活にも心の余裕も出来た。そうした中で自分が農業に携わっている証(あかし)、オリジナリティ・アイデンティティ、ストーリー性のある農業。そうした想いで新たな品種の取り組みを模索する中、西南のひかりを思い当たった。

西南のひかりは収穫期 12 月中旬の中晩柑品種『アンコール×興津早生に陽香(清見×ポンカン)の花粉を交配したもの』で果皮は紅鮮やかな濃橙色をしており手で容易に剥ける。また果肉はℬ_クリプトキサンチンを多く含み糖尿病・骨粗しょう症の予防に役立つ身体にやさしいミカンである。

先ずは西南のひかりと言うネーミング。私と長男の将也が西南学院の出身であること。地図を開けば、当地糸島は日本の西南部にあたること。これらをもって農業に取り組んでいけたら語れる農業となる。これこそ私がやらねば‼

西南のひかりの導入について JA はじめ柑橘栽培に詳しい諸先輩方に尋ねたところ、

①樹木にトゲがあり栽培管理に手間がかかる。トゲによる傷果が発生する。

②栽培環境・土壌に適しているか疑問である。

③品種自体の認知度が低く売れるかどうか疑問である。

といったマイナス材料があった為、苗木の新植でなく高接ぎによる栽培を選択し、栽培する場所は陽当りは悪いも水捌けの良い場所を選択した。

平成 29年(2017年)に高接ぎ実施し翌々年の令和元年(2019年)に果実が実った。高接ぎから2年経過した平成31年紅橙色した果実が実った。果皮は剥きやすくうち袋(じょうのう)は薄く食べやすい。食味は糖度13度を超えて果汁も溢れるほどでまさに当たりであった。

これだったら自信をもって売れると確信した。ではどうやって売って行こうか……先ずは伊都菜彩。他の出荷者は2名。年明けから出荷するも認知度が低い為かなかなか売れない。食べてもらえば絶対買ってもらえるのに……。そうした思いで販路を模索する。

① ミカンオーナー園顧客への案内 気の知れた親しいお客様に訪問販売。

② 西南学院へのアプローチ 学校給食、生協での販売また受験シーズンにおける「合格ミカン」としての取り扱い等の提案。

③ 糸島市へのアプローチ 地理的条件(日本の西南部)、また糸島市が西南学院との産業連携協定を結んでいること。を以て糸島の特産品にどうか、ふるさと納税品等の提案。

④ 上記の西南学院、糸島市・JA 糸島へのアプローチを具現化進めるためにJA 糸島柑橘部会に奨励品種として栽培者の拡大を提案。

⑤ 西南のひかりの認知度アップを狙ってマスコミメディア(ラジオ3本出演)、コミュニティ誌(1紙掲載)の広告活動を行った。

西南のひかりは自信の持てる商品であるので、今後私のライフワークとして栽培・販売に注力していきたい。

おかげさまで令和3年辺りからオーナー園の顧客や知人・親類からの口コミ効果でロスなく消化しており令和4年にあっては予約注文が殺到して産直販売を行っていない。それ故に令和 3 年に増産を目指して 1,500㎡、63本の高接ぎによる増植を実施した。

食育活動及び SDGs

こども達に向けての食育活動

地元の怡土中央台保育園をはじめ、他3つの保育園でみかん収穫体験の食育活動を行っている。怡土中央台保育園にあっては妻が保育士として勤務していることもあって10数年前から実施しており、5月初旬にミカン花見、ミカンの赤ちゃんの観察・ミカンの花の香りを嗅いでといった体験型の学習。10月下旬に熟したミカンの収穫=みかん狩りを実施している。講話内容はミカンにとってのえき虫・害虫の話、栽培のこよみ、美味しいミカンの見分け方等である。こども達はさと山での屋外活動にミカンのお話に興味深く耳を傾けてくれている。

観察・収穫後は、虫(バッタ、コオロギ、ダンゴ虫)を捕ったり、雑草(クローバー、シロツメクサ、カラスエンドウ)で遊んだり楽しんでくれている様子である。令和4年11月には、孫が通う地元の怡土小学校の3年生に対しての授業を行った。授業タイトルは「糸島の有名な食べ物」であり私はミカンについてお話しした。

講義内容は

① ミカンの効能=カラダに良い食べ物であること。

② ミカン栽培カレンダー=1年間の栽培作業内容

③ ミカンの種類と美味しいミカンの見分け方

など約1時間程度の講義を行ったが、こども達は事前に学習していた様子で沢山の質問が飛び出す活気溢れる授業であった。

こども達に向けての食育活動でわずかでも心に残り関心を持って頂けたら嬉しい限りである。

Heal the nature 自然にやさしく、作物にやさしく、そしてひとにやさしく

サスティナブルな活動が注目されるこんにち、農業にあっては昔から当たり前のことであり必然的な活動と捉えている。自分自身の農業経営においても、科学農薬を減らして有機農薬を活用したり、科学肥料頼らずに牛糞堆肥施用を中心とした土壌管理を行ってきた。前述の環境保全型農業の取り組みは、私の経営の柱として進めていきたい。

また今般、柑橘類及びタケノコ孟宗竹の剪定、間伐作業のアイテムとしてチッパーを糸島市の補助金を活用して購入した。これは伐採した枝を細かく粉砕する機械でその粉砕したチップは、作物の肥料として活用できる。今まで柑橘類の剪定枝は1 ヶ所に集めて焼却していた。チッパーの導入は

① 作業労力の軽減及び作業時間の短縮化

② 剪定カスを肥料としての有効活用

③ 剪定カスの焼却による CO2 発生を防止

まさに SDGs的な営農と言えよう。

*原木シイタケ栽培

シイタケ栽培は父母の代から自家消費目的で行なっていたが、伊都菜彩への出荷用に10年ほど前から規模を拡大してきた。ホダ木は父の代に植林したクヌギの木を原木として利用している。ホダ場は杉やヒノキを植林した林内で灌水設備も施していない完全自然栽培である。それゆえ全くの天候まかせのため、発生時期と収量が予測出来ず、安定した出荷と収入確保が不透明である。今のところホダ場の屋根掛けや灌水設備を設置する考えはなく、完全自然栽培にこだわったシイタケ栽培を続けていくつもりである。

シイタケ栽培のノウハウ・知識向上を目的に平成 29 年に福岡県特用林産振興会に加入した。ここは福岡県の林業振興課が事務局として技術指導や情報提供、ホダ場の診断、研修会・視察の実施等熱心に指導頂いている。

令和4年秋に‘福岡県のシイタケ品評会に出品しませんか‘と熱心にお誘いを受けて初めて出品した。生シイタケはその出品時期に発生するかわからないので、乾燥シイタケでエントリー。乾燥具合い、サイズ、色、カサの巻き具合い等どういったものが良いとされるのかもわからず手探り状態での出品であったが、おかげさまで『第53 回福岡県椎茸品評会乾燥シイタケの部』において福岡県特用林産振興会会長賞を受賞した。この賞の受賞は驚きと喜びに加え、シイタケ栽培の技術研鑽、乾燥シイタケの品質向上を強く感じた。